説明書

ブログ的なやつ

車に揺られながら。
親に怒られながら。
買ってもらったゲームの説明書を読む。
別にわかりきってる操作方法が書かれているだけの紙切れを。

説明書ってなんか、ゲームを開くまでの楽しみのわくわくを、増長させてくれる物だった気がします。
最近ゲーム屋にいくと驚くのがSwitchや3DSのパッケージが開くようになっていてはこの中身に、更にゲームの説明が書かれてるんです。
昔と違って今はゲーム屋さんは表にはサンプルのパッケージを置いて、本物は裏の棚に、って事が多いんですよね。
だから、箱開けていい。なんて新しい省スペースの仕組みがあったりして。
印刷代の削減もあり、今の時代特に任天堂のゲームは説明書がなくなりました。
電子説明書になっていて、ゲームを起動してる最中にゲーム機で見れるんですよ。
とーっても便利、索引も検索もあるんですから。
だけど。どこか説明書がなくなったことの寂しさを感じる時があります。
昔、「俺の屍を越えていけ」というPSのゲームの説明書には。
プロデューサーである桝田省治さんの言葉がたくさん紡がれていました。
ゲームに関係あることもない事も。
一度は開くであろう説明書にまでゲームの世界観を楽しむポイントが散りばめられていて。
ゲームをしていなくてもどこかそのゲームの世界に入れたような気がする仕掛けがたくさんありました。
しかし、その工夫は最近のゲームでは取り入れられる事も少なくなり。
ゲームにはチュートリアルを適切に入れなくてはいけないという暗黙の了解が生まれ。
説明書という言葉そのものがどんどんと、時代遅れになっていくようになりました。
便利なはずなんだけどね。
たまーに、さみしいなぁとか思いながら。
何故あれだけ分かりづらい難解なシステムだった「頑張れ森川君2号」は説明書そこまで凝ってなかったんだろう。と。
寂しさと謎の憤りを感じるのでした。
アストロノーカは超楽しかったけどね。