作詞

ブログ的なやつ

作詞って言うのは個人的には苦手。
なんだか物語にしてしまおうとするから。
いや、別に物語みたいになる事が間違いなんじゃなくて。
そうなると定型から抜け出せなくなってしまうから。
今回はそういう話。

私は作詞する時にぼんやりとしたテーマだけ作成するようにしている。
例えば「応援」とか「疑念」とか。
ぼんやりとだけさせるって感じ。
それ以上の事をしてしまうと、どんどん歌詞が定型っぽくなってしまって、どこかで聞いた事がある文字の羅列になるから。
そうならないようには、色々な事をぼんやりさせる事がポイントかなって思っている所があって。

だけど徐々にそこに伝えたいメッセージを載せていくと、やっぱり定型にはまりそうになる。
そうしたら次はレールを脱線させてある程度そこに自分を載せる作業を開始して。
こういう作業を繰り返して、使えそうな歌詞をたくさん書いて。その中から不要な要素を消して。
また足して、消して。それを繰り返して行くと。
どんどん「何がしたかった」か分からなくなってくる。

この作業は選別出来ているようにみえて、どんどんまた定型にはまるから。
不要な物を消していく作業って言うのは「無駄」がなくなる。
無駄が無くなれば、無くなる分だけ、伝えたい言葉だけが残りお手紙感が生まれ、物語感が生まれ…。

あれ?最初に戻ってないか?ってなるw

だけど、脱線を繰り返して「何がしたかったか」分からなくなると次はどんどん「無駄」が産まれる。
ここからが勝負。
例えば、仕事のテンプレって決められた仕事の成果が出るけどそこにちょっとした無駄を載せると個性が生まれる。
それが自分らしさになったりだとか。

接客のマニュアルなんて、マニュアル通りにやっても機械的で相手の事をしっかりと受け取って相手に対して考えた言葉を出す事が「+α」の接客に繋がる。
これはとっても素敵な事かもしれないけどマニュアルって言うなぞる物から見たらやっぱり「無駄」な訳だ。
この無駄をたくさんたくさん詰め込むと。例えば明々りみたいな曲が出来上がる。

意味も無く敬語を取ってみようよ。
意味も無くここは伸ばしてみようよ
意味も無く母音を繋げてみようよ

こういう無駄がたくさん。
ちりばめられてようやくオリジナリティが生まれる。
納得感が生まれる。

作詞の作業だけじゃなくて。
やらなくてもいいかもしれない事を繰り返すと結果として、それがらしさに繋がって。
見てくれる人、触れる人が楽しんでくれる事になるかもしれない。

「若い内は苦労は買ってでもしろ」なんて言葉は嫌いだけど。
年齢関係無くて、無駄だなって思う事も真剣にやってみろ、経験値になるぞ。
は案外ガチだと思ってる。
あなたの人生におけるやらなくてもいい無駄な事。ちょっと本気で遊んで見たら楽しいかもね。
なんつって。