ラジオという存在

ブログ的なやつ

ラジオという空間は。
ちょっと本来の場所と異なると思っている。
その特殊な空間が。
この上無く好きって話。

子供の頃から。
勉強をしている時に音がないのが無理な人間だった。
しかしながら、勉強をしながら音楽を聴くのも出来ない子だった。
それは今も変わらない。

音楽を聴いているとどんなに良い音楽だったとしても。
聞いていると、まるでハムスターが滑車を回しているような気分になるのだ。
というのも八神は好きな楽曲を1トラックループする癖がある。
だからずっと同じ音楽が流れる。
大体平均して、4分半か。
それがずーっと。ずーっと。

だけどラジオは。
聞く度に何か違う言葉が流れてきたり。
それは時間を感じる番組だったり、季節を感じる番組だったり。
いつも聞く度に違う事を、話しかけてくれるのが。俺にとってラジオだった。

ラジオにはまると次に気付くのが。
パーソナリティでラジオを選んだ時に。
テレビで聞くしゃべり方だったり。話と。違いを感じる事が多かった。

テレビって言うのは、一瞬の取れ高を狙ったりするんだけど。
ラジオって言うのは、例えば30分番組だった場合なら。
30分、安定したトークが求められる。
だから一瞬に何か情熱をかけて、笑いを取る。みたいな感じではなくて。
その緩やかな坂道を軽快に走るような。
そんなテレビでは見られないパーソナリティの一面が見れる気がして。

自分の中ではどんどんラジオが特別になっていった。

例えば自分がやるやがやがやしないラジオでは。
情報は詰め込まないようにしている。
というのもきいていて疲れてしまっては元も子もないので。
あくまで、なんというか。

マルチタスクはやらないというか。
一つの話を中心に回して行く。
話題が変わったらなんとなく話題が変わったよって事を相手に伝える。
そういう、実況動画ではちょっと流れない時間だったり、空気が出るように、努めている、つもり。
出来ているかはさておき。

つまり。
八神颯の活動の中で。
いつもの主戦場になっている場所と。
ちょっとだけ違う。そういう空気を楽しんで貰いたいな、って思っていて。
だけどこの楽しんで貰いたいって感情がくせ者で。
それが自慰的な行為になれば、自然と聞く人はいなくなる。
それがその時が。昨日話した「終わる時」な訳で。

自分にとって特別であり、特殊な時間であるラジオを終わらせるのは。
かなしいかな、自分になる訳で。
だからこそ、覚悟は必要だし1回1回の収録はしっかりとやろう!って思ってやるし。
だけどはじめたら。そんな事忘れて。楽しんじゃうし。

やっぱりやがかつの資本は、「楽しい」だからね。
俺が出来る事なんて大した事はないから。
まずは俺が目の前で全力で楽しんで。それを見ていて楽しいって感じて貰えたら。
一緒に楽しんで貰えたらいいな。それの繰り返し。

だから、結果的にはどこか自慰的な所があるから。
金曜にはちょっと終わる覚悟の話をしたんだと思う。

あとこれは感謝の気持ちで。
1ヶ月も出来ると思っていなかったから。
まじまじと手紙を読み返していた事も、この覚悟を再度頭に過ぎらせた原因なんだろうね。
それは全部頂けた楽しい時間。

だからそれがどうか終わらないように。
これからも楽しめるように。
一生懸命頑張りたいなって思うのです。
どれだけ動画を投げたとしても、ちょっとだけ違う空気である。
ラジオを終わらせないように。

とか言って夏前まで持たなかったりして!
その時は。
もっと成長出来る様に頑張るから。
いつか終わっても、またはじめるから。
目標のスタートラインだから。それが。

目標はちょっと高めに設定していた方が。
達成した時嬉しいかな、なんて。