遊ぶ才能と勝つ才能、そして楽しむ才能

ブログ的なやつ

先に結論から珍しく書いてしまうと、何よりも楽しむ才能が最高に強いと思っているんだけど。
この遊ぶ才能って言うのも、勝つ才能も、楽しむ才能も。
同じようで全く違うゲームに良く求められる才能なんですよね。
今日はそういう話を。

もらう相談の多くで「ゲームで勝てなくて辞めてしまおうかと思っている」続けるべきか?
みたいな相談をもらう事があるんだけど。
本音は一言なんですよね「知らん」

というのもゲームって言うのは、そのゲームで遊ぶ事を楽しんでいるのか。
そのゲームを複数人でプレイしているという「多人数で遊んでいる事を楽しんでいるのか」
「そのゲームを通して、勝利をする事を楽しんでいるのか」で全く内容が異なる訳ですよ。

実は同じゲームをプレイしている。といっても楽しみ方であったり目的は異なっていて。
人に勝てないとイライラしてしまう人がいたり、勝てなくても毎回笑顔で楽しめていたり。
だとか。
そういう風に色々なプレイスタイルって言うのが間違いなく存在している訳ですよね。

んで当たり前なんですけど。
色々な風に楽しんでいる人がいていいわけですよ。
そこにルールなんて無いんですから。ゲームをどうやって楽しもうとその人の勝手だし自由だし。
それをこちら側が制限したりするなんて、ちゃんちゃらおかしい話な訳ですよね。

個人的なゲームへの意見なんですけど。
スプラトゥーンって言うのはすごいゲームで。
特にナワバリマッチ(戦場を自分の色のペンキでたくさん塗ったチームが勝ち)なんですけど。

あのゲームって、地面を塗っているだけで自分が働いている気分になるんですよ。
もちろん勝利を安定させる為には戦術もあるし、後半の動き方が重要とか有るんだけど。
だけどあのゲームは老若男女。なんとなく色を塗ってたら楽しいって言うのが実感出来るから負けてもある程度、悔しいな!で終われて笑顔でいられる。
「楽しむ才能」の補助をしてくれるから勝っても負けてもみんなでわいわい出来るゲームだなって思っていて。

だけどこれはあくまで一つの意見であって、あのゲームにおいても「どうして勝つ為の最大の努力をしないのか」って人はやっぱりいて。
そういう人と一緒に遊ぶとやっぱりなんていうか「怖い」みたいな意見を持ったりする事もあると思うんですよね。
ゲームのオンラインの世界って本当に色々な人がいるから。
どれがどういう人で~って言うのを理解するのはすごい大変だし、難しい部分がたくさんあると思うんだけど。

一ついえる事として、本当に色々な人がいるからこそ、その可能性を最低限理解しつつ、楽しむ必要がある上で。
勝っても負けても。「ゲームが楽しい」っていえる。
「楽しむ才能」の持ち主は。何はともあれゲームを最大限たのしむ事が出来ている人で。
ゲームを一つの手段として捉えるのもいいんだけど。どうせだったら。
この人達みたいに。「ゲームを楽しんで」もらいたいなぁって思うの。

ゲームを使って「俺は意味がある人間だ」「俺は才能がある人間だ」「俺が強いんだ」「俺には味方がいる」「俺は一人じゃない」なんて誇示しようとするなんて。
あまりに悲しい事だと思うから。