作る努力とみてもらう努力
創作活動全体においていえる事なんだけど。
作る努力はみんなが出来ていると思うんだ。
自分の作るモノに愛情をかけてさ。
それだけ頑張って。
ただ、見てもらう努力が足りないんじゃないかなって話。
私なんかもそうなんだけど。
基本的に私の場合は動画をyoutubeとニコニコで垂れ流して。
チャンネル見てくれたら何をしているか分かるよと。
人格についてはTwitterを見てね、と。
そういう感じで周知をしているんだけど。
これって要は、Twitterのサービスとyoutubeとニコニコ動画のサービスに乗っかってるだけで。
何一つ自発的な行動なんて取ってないんだよね。
いや、これでも結構時間を割いているつもりだから努力をしていないつもりは全くないんだけど。
でもやっぱりこれってただただ流動的に乗っかっているだけで、「知ってもらう努力をしているか?」と言われると、
非常に弱いと思う。
もちろん、自分の中である程度の時間とコストと愛情を持って、作品を作っているから。
できる限り色々な人に見て貰えたら幸せだなとは常に思っている。
常に思っていても結局の所。
「第三者からしたら知るきっかけすら無い」モノを相手が見られる訳も無くて。
例えば八神颯を10万人が知っていて、9万8000人がつまらないと言ったとして。
残りが今のチャンネル登録数なら、良くはないけどいいよね。
だって10万人が評価してくれているんだから。
だけど、多分大体の創作物って言うのは作った事に満足してしまって、最後の最後で爪が甘い。
「ゲームが完成しました!良かったら遊んでください!」ってTwitterに投げた所でTwitterなんて拡散されなければ、フォロワー数=最大ポテンシャルな訳で。
もちろんSNSってなんていうんだろうか。つながりでフォローリフォローしてる人なんていくらでもいるから別に興味が無い人も大量に紛れ込んでいる訳だから、そうなるとそんなポテンシャルが君が欲しかった人数なのか。
って話な訳ですよ。
やり方って言われても色々な方法があるから難しいけど…。
やっぱりその作品を知ってもらおう。俺だったら八神颯を知ってもらおう。
って言う努力の数が本当に身を結ぶと思うし、この努力を怠っている限り、結果なんて出ないと思うんだよね。
だから創作をする人は、もちろんながら創作技術をあげる事は大前提だと思うんだけど。
それだけじゃなくて、その後の「セルフプロデュース」の力も養わないと。
どうしても、夢を見てる先にはなかなか行けないよね。ってお話ですた。
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