私は私のままだし、ここにいるよ。って。

ブログ的なやつ

ちょっと生放送でも話した話なんですけど。
やっぱり、新しい事をするのは怖い。
これが例えば自分の事の場合はどうでもいい。
正直、本当にどうでもいいんだ。
だけど、そうじゃなくて、誰かに見て貰って評価をしてもらうというのを趣味としている場合。
それを本気として活動している場合。
話は大幅に変わってくる。

大阪に行って友人のライブを見てきた。
いわゆるコピーバンドというか。コピーアイドルというか。
そういう活動をしている方々で。
だけど、新しい場所で戦う為に、オリジナルを作った。
そして、ステージの上で頑張ってそのオリジナルを歌っていた。

べっつにステージに立つ人間が、オリジナルを歌う。
これは特別な事では無い。
当たり前にある事だ。

問題は。
彼女らが、「コピーアイドルとして期待されていた可能性」があるという部分。
こうなってくると、応援してくれていた人達も「なんだオリジナルにするのか、って事は今までの活動は踏み台…?」と思う人もいる可能性がある。
となると、表に出すのは絶対に怖い。死ぬ程怖い。
そこまで受け入れられていた「存在の否定」がもしも生まれるならそれは窒息してしまう程の圧迫感がある。

ここまで書いて何が言いたいかって…。

本当にライブを見てて、広告をONにした時の事を想いだして鳥肌が立っていた。
怖かった。確かに。
個人的には趣味の範囲を超えてきたからこその判断のつもりだったけど。
やりたい事を更に進める為の、次の一手は。
誰にだって、変化が求められ。変化するって事は。
それだけ、色々な人に影響と「懸念性」を与えるって事だから。

自分としてはそれがどんなに思い切った、勇気のある一歩だったとしても。
他人って言うのはそれを浅くも見るし、深くも見る。
個人的に偶像でもなんでもないから。
それに全て応えられるとは鼻から思ってない。
だけど。その中でも見てくれている人に理解して貰えるなら理解してもらいたいし。
そういう我が侭みたいな物は至る所に湧き出してくる。勝手に。

このジレンマというか。
温度差に、凍え死にそうになる。

それこそ八神颯だって、別にゲーム実況者じゃない。
あれもこれもやる人だって昔から言ってる。
だけど断片的に見てくれた「ゲーム実況者」だと認識してくれている人からしたら。
急に歌い出したらそれだけで「ゲームを踏み台にした」になる訳で。

違うといくら叫んでも。
偽善者めがとなって。
もっと、もっと一つ上のステージで戦わせて、俺をそこに行かせて!と思っても。
声が届かなくて。怖くて、泣きそうで。

どんなに想っていても伝わらないし、どんなに願っていても届かないし。
だけど、ステージに立つ。人前に立つ事を選んだ僕達は。
何があっても、戦い続けるか。辞めて。降りて。何もない自分に戻るか。
その2択しかない。
裏切らない事はどれだけ進化を繰り返したとしても。軸を持ってぶれないままでいて。
そして。戦い続ける事だと。
俺は思っている。

思ってるし。
降りる気は。毛頭無いし。
戦っているフィールドはきっと全く違うんだけど。
どこか似ているジレンマを持っている人を見ると励まされる。
もっと頑張ろうって。こういう感情の中で。戦っているのは俺だけじゃないし。
きっと何人もが、膝を毎日付いている。
どれだけ辛くても。膝付いて溜まるか。と。
もっと頑張れるんだ。俺は。と。

何も根っこは変わらずに。
ずっとここにいよう。って。
改めて。思える。