認められない物

ブログ的なやつ

例えばなんでもいいんだよね。
俺の趣向品でなかなか理解されないもので言えば、タバコとか。
そういう何かしらの他人が持っている理解ができない物が今回のテーマだったり。

結構色々な種類があると思うんだよね。
最近なんだけどこれを理解してもらいたい!って人が多い気がしている。
俺はこういう考え方なんだけどそれをあなたにもわかって欲しい!みたいな。

そしてそれは恐らくだけど理解されない。
趣向っていうのはあくまでそれぞれが個別で持っていて良いものであって、それを互いが理解し合えるようなシステムにそもそもなっていない訳で。
例えば俺がゲームに対してもっているスタンスだったり理解っていうのは誰かに理解してもらえるとは思っていない。
生まれも育ちも違う全く別の個体の人がそれを全て理解ができると言えばそれはむしろ気持ち悪い事だと思う。

本来で言えばそんな事発生する方がおかしいと思うんだもの。
だけどなんだろう。
自分が考えている方法であったり、思考であったり、趣向であったり。

これらを最近否定し合う事が多い気がするんだよね。
例えばわかりやすい所で言えば腐女子のカップリングとか。
「私それ地雷なんです」みたいなやつね。

あ、そう?
で終わりでいいはずなのにあわよくば自分の地雷を伝えた上で、絵師さんに地雷を避けたイラストを書いてください!とか言うまさに地雷みたいな人。とか。

こういうのってさ。
それこそみんな忘れかけてるかもしれないけど、マストドンってあったじゃない?
あれがすごいその考え方で同じ趣向の人達だけで集まったSNSをたくさん作りましょうね。って言うイメージだった訳だよね。本来で言えばあれは流行って当たり前だった。
でも流行らなかった訳で。

なんで流行らなかったかと分析してみると他人への承認欲求を満たそうとした時に分母のユーザー数が少なすぎたのが1番の原因なんだよね。
だから結局マストドン最高!と叫んでいた人もちょっとするとTwitterに帰ってきて、それこそ有名な人とかに平気でまたクソリプするのが当たり前の生活に戻ろうとしていたわけで。

きっとあなたが誰かのことを理解ができるわけないし、きっと誰かがあなたのことを理解するわけがない
ある程度その覚悟を持ちながら生きていたりだとか、SNSの活動を頑張っていると意外と、たまーに本当に核を理解してくれる人が出てきたりして、それに喜びが持てる。

それが結果的にモチベーションとかになったりする訳で。
何が言いたいかって。
自分も普段から気をつけるようにしているけど
自分の承認欲求の為に誰かが傷ついて良い訳が無いんだから。
そうやってね、自分を満たす為に何かをずさんにあつかって。
気付いた時には大切な物が抜け落ちてたりする。なんてことは無いようにしようね。
って言う自身を含めた忠告なのでした。