責任と我が侭

ブログ的なやつ

これはね。
ある程度上に立った事がある人は大体分かる話だと思うんだけど。
何かしらの我が侭を言うって言うのは。
何にだって、責任が伴うよね、って話。

何をしていたって。
人が一人以上いる場所では24時間思い通りになることなんてほとんど無くて。
それが続いてくると合わせている人は大体イライラしてきて。
こうだったらいいのに、ああだったらいいのに。
みたいな事を口にする。

するのはかまわないんだ。タダだしw

ただ例えば何かしらのルールを変えたい。
などという事を提案する時には「それを行う事で何が起きるのか」「それは全員が同じ感情なのか」みたいな様々な要素を考えなくてはいけないと思う。
わかりやすい話だけど。働いていると、「空調」ってよくトラブルにならない?
寒いとか。暑いとか。

じゃあクーラー付けましょう⇒いや丁度適温です⇒こんな寒い中じゃ仕事できません。
みたいな。
その人が持っている体感温度って言うのはあくまで個人の意見であって、その意見が万人みんなそうかって言われると、そこには問題が生じる。
だけどその温度では最適だと自分は思ってないからどうにかしたい。
そういう気持ちがあるんだったら、できる限りそこにいる人が納得できる答えを出さないと行けないし。
それ相応の事が求められてしまう訳で。

そうを言い出すって言うことは責任が伴う。
「八神さんがクーラー付けろって言うから」っていくらでも他の人はいえてしまうから。
それは行動の責任もあるし、周知の責任もあるし。
そういう様々な要素を全部クリアできるようにできる限り動く事で衝突もトラブルも減る。

やっぱり何かを変えたい。って思う強い気持ちがあるのであれば。
それと同等の、それを変える為のパワーが必要になる。
一番いやなのは、「きっと良くなるはず」って気持ちを抱いたまま、「何も責任を負いたくなくて」」「ただ我が侭を言う」だけの人って思われてしまう事。
こうなってしまったら、正直頑張ってもなかなか他人の評価なんて得られないようになってしまうから。

やっぱりある程度何かを変えるって言うのはパワーも、責任も、コストもかかることだけど。
どうせだったら、その何か前向きな気持ちを「我が侭」で止めてしまわないで。
「何かを変えようとする強い気持ち」に昇華させる事がとっても大切なんじゃ無いかな。なんて。

難しいよね、やろうとしている事は同じはずなのにこれだけ評価が変わる可能性があるんだもの。
ゲームの選択肢と一緒。相手を裏切らないように行動をするのを心がけなきゃ、ね。